「天国と地獄」スパイスマン太鼓日記
2001年3月度
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2001年3月31日(土)
いよいよ3月が終わる。スパイスマンにとっては初めての長いブランク。
メンバー同士も普段は顔を合わせることもないので、どんな生活をしているかは本当に知らない。
とにかく今月は「自分を見つめ直す時間」を作った。他のメンバーはリフレッシュできたのかな。今からが大変だからねぇ。
4月から、いよいよ曲を作りはじめます。蜂蜜のような高密度の作業が待ちうけています。
僕自身、今は航海を控えた水兵さんの気分のようにワクワクしています。泥沼の遺恨が勃発するか(大げさやな)、
4人のパワーが合致して増幅するかはまだわかりませんが超ご期待ということで。
2001年3月30日(金)
最近よく思うのは本当に楽器は難しいということ。イメージ通りに操れる人はごく僅かの限られた人だけのようだ。
でもその「限られた人」でも練習を続ける。ジョン・コルトレーンがそうであったように、死を迎える直前まで練習は続く。
何故練習するのかと聞かれれば「イメージを形にしたいから」という人は多いと思う。
もちろん、これは他のジャンル...野球等のスポーツしかり、他の芸術も同じ事が言える。
そしてその先にはイメージ通りに操っている人の姿が微かに見える。それは真のプロフェッショナルな人々の姿。
では「イメージ」とは何か。僕が思うにここが1番重要なのだ。
練習と聞くとなんだか今のご時世、堅苦しく思う方もいるでしょうがただ、練習といっても色々ある。
基礎を作るのも練習。応用を効かすのも練習。ただ耳を傾けるだけでも十分「練習」になりうる。
「練習をしない」という人は悪く言うと「表現することがない」という人だ。
こうなりたい、ああいう風にしてみたいという憧れを持ち合わせていない人は、練習をする必要などまるでない。
音楽も趣味で遊ぶ分には十分楽しいし、僕はそういう人を卑下する気も毛頭ない。
人に迷惑をかけない範囲なら、の話だが・・。
要は死ぬまで自己を鍛錬し続けなければならないということだ。これだけはいつも僕は肝に命じている。
ゴールなどはない。あるとすれば「表現することがなくなった時」だろう。
(注 この基本的な考え方は今も変わっていない。何?お前は鍛錬しているのか?・・ま、それは置いといて(笑)・・。)
2001年3月29日(木)
「考える時間なんです」等と偉そうな事を書きましたが別にそれほど「考えてる」って訳でもない。
なんていうのかなぁ....ボーッとする時間があるとうれしいな、と。
大体、1日で10分位僕はそういう時間を持つようにしている。「何もしない、何も考えない」という時間を。
「何もしない」の何って何?「何も考えない」って言いながら「何も考えないでいよう」と考えてる?
この、矛盾だらけの行動が明日へのステップになる.....かどうかは知らない。
やっぱり重要なのはバランス感覚なんだろうな。でも、そのことだけを考えてるという段階で早くもバランスはとれていない。
音楽は「音を楽しむ」と書く。そういう意味では大自然の音も僕にとっては立派な音楽だ。
心に染みる、或いは突き刺さる音楽を作り続けていきたい。
2001年3月28日(水)
今までの経緯で理解されているとは思うが、これは日記であって日記ではない。また、事実であって事実ではない。
と、いきなり禅問答のような形で書き出したものの、続きが浮かばないので保留。
違う話題でも。
(注 書きながら煮詰まるという好例(笑)。)
皆さんは旅行が好きですか?僕はすごい好きです。
僕は自然の音がすごい好きです。これは普段人工的なうるさい作業をしているせいかも知れないけれど、心が洗われるようで好きです。
今年の1月に友人と2人、車で四国へ出掛けました。高知の竜串海岸で海の音を聞きました。
周りに誰も人がいなくて聞こえてくるのは波の音ばかり。岩に腰掛けてしばらく聞き入ってました。
じっと聞いていると普段聞こえてこない音が聞こえる...風の音とか遠くにいる海鳥の鳴き声、自分の鼓動の音、水が流れる音。
気がつくとかなりの時間が経過していました。
僕にとって旅行は「考える時間」なのです。もっと色々なところに行ってみたい。
何か支離滅裂な文になってしまったな。
2001年3月27日(火)
どうも昨日の分が2つあったようだ。おおよそ日記ではない。
昨日の続き。
しかし、こういう文を読んでいただけると皆さんにも「僕は暇だけれども忙しい」という矛盾に納得してもらえないだろうか。
暇は暇なのだ。でも、スゲー忙しいのだ!....まぁ、いいや。
昨日AW4416に落とした音を聞く。ベースとギターがないので何だか違和感がある。
とりあえず先に仮ギターを録音する。パンチインがちょっと面倒くさいので一気に弾く。とりあえず間違ってなければOK。
この後に仮ベースを入れる。でも、ベースは仮のまま終わる場合が最近多い。
理由は、僕の場合、ベースに凝り出すと時間が異常にかかってしまって(気がつくとフレーズの練習とかしてる場合がある)
尚且つ、後から聞くとやたら手数が多くて「こりゃツマランばい」というのが多いからだ。うん、所謂自己満足ってやつです、はい。
(これがジャコパスならそうはならんのだろうがねぇ。いやはや)
....気を取り直してギターを録リ直す。大体3本位入れる。終わったらバランスをとってMDに流し込んで終了。
今日はもうやらない。PS2を小1時間ほどする。自分ではゲーム好きと言ってるが、実際ゲームをしてる時間はこのくらいなのだ。
その後、ゆっくりとベッドで寝転がり、「徒然草」の現代語約を読みながらベン・ハーパー或いはKENSOのCDを聞く。
知らないうちに大抵口を開けて寝ている。
(注 今読見返すと、当時どんな曲を作っていたのか、自分でも忘れているぞ(笑)。)
2001年3月26日(月)その2
昨日の続きをする。
1日でも出来るのだが今は大抵3日(多いと4〜5日)でする。理由は以前に述べたとおり。
とりあえず聞いてみる。昨日と聞いた感じが同じに聞こえるかをチェックする。また歌のメロディーを憶えているかもポイント。
これはいわば、「徹夜明けで何を言っても面白い状況を録音しておいて後で冷静なときに聞く」ような感じかもしれない。
ここで意味不明の曲はボツとなる。合掌。幸い今回のはまだ大丈夫だ。
今、AW4416とMV-30の同期が出来ない状態なのですぐに曲のサイズを決める。ドラムのノーマルパターンを入れてすぐに
シンセベースを乗せる。そうしないと自分で作った曲で「迷う」事になってしまう。この時点で1時間経過。
とりあえずリズム隊は終了。この上にシンセと歌メロをガンガン乗せ...られる程才能がないのでチョロチョロ1小節ずつ手弾きで入力。
途中のロケートポイントでは必ずセーブする。このあたりは普通のPCと同じと思ってもらって構わない。
僕のMV-30は電源の接触が悪く、僕が立ち上がった瞬間に「ぷちっ」と切れたりするので危ないことこの上ない。
途中でギターを弾きながら聞いておかしい所を作りなおす。ここで一服。三時間経過。。
さて作業再開。「詰め」の部分が特にソロ活動などをされている方は大変かも知れないが、今の僕にとってはあまり重要ではない。
何故なら最終的に曲はバンドで出すものから、ある程度で十分だと思うのだ。
だから、サイズをわかりやすくする為、ドラムのオカズを入れたり(入力中は既にもうドラマーではないので超適当)、
楽器のバランスをとってメロディーとシンベを外してAWに録音。4時間経過。
既に虫の息だ。その後、ゲームを少しして練る、もとい寝る。
2001年3月26日(月)その1
相変わらず曲のアイデアを寝る、もとい練る毎日である。ただ、「練る」というよりは「搾り出す」感じか。
もちろん、何も浮かばない時もある。浮かんだもの全てが「格好悪い!」と思うこともあればその逆もある。
思いつく瞬間っていうのは僕にとっては「無」からではない。今までのボツネタや未完成の曲を頭の中でひっくり返し、
且つ他では全く別のことを考えていて、ゲームをするとか、体操したり、風呂に入ったり、ご飯を食べる。
一瞬たりとも気が抜けない。もちろん常に録音をする準備はできている。ふと、何気なくギターを持つ。何気なく弾く。
頭の中でリズムが出てきた。すぐにシーケンサーに打ち込む。ループにする。ギターを弾く。何かが繋がった。
僕の場合は基本的にギターとドラムが繋がらないと全く盛り上がってこないのだ。今でもZEPが好きだからかもしれない。
ベースに持ちかえる。弾く。なんとか感じが出た。すぐ録音。うん、いい感じだ!今日はここまで。
2001年3月25日(日)
随分と堅苦しい話題が続いていたので、
僕のことを知らない人が読むと「悩める詩人ドラマー」と勘違いする人もいるかもしれない。
...............うん.............その可能性はないな..........................。
まぁ今日はちょっと私信を。
〜K君へ〜
御結婚おめでとうございます。
君と初めて出会ったのは予備校の時にあった飲み会でした。
まさか同じ大学で同じバンドを組み、夜な夜な原付に乗って僕の家までやってきて
「ウワーッ!また呂布が裏切った〜!」とスーパーファミコンの「三国志」をやり込んで「うわ〜最悪や」と言って
突然電源を切って帰るような間柄になるとは当時思ってもみませんでした。
君がMに酒をガンガン飲ませて僕の部屋の灰色の絨毯を嘔吐で山の紅葉のようにカラフルにしたのも本当に笑い話です。
僕とH君とガンガン飲んで君とSが「エリア88」をやってる最中ベッドで僕が「ボコボコ」と音を出して寝嘔吐したり
S君と彫刻刀でマス男の部屋を破壊したりとおおよそ,今後の人生では出来ない体験ばかりでしたね。
この体験を大いに活かして(無理だって、絶対)今後の生活を頑張ってください。
僕も美人で世話焼きな人と今世紀中には結婚してみたいです。えっ、甲斐性がないから無理?.............了解。
虎の絨毯を部屋に飾れるくらいの金持ちになったら(このあたりが貧乏クサイと言われる所以か)、自慢の電話をします。
体に気をつけて。お嫁さんを泣かさないように。
(注 今も彼は立派に教師として頑張っています。)
2001年3月24日(土)
しばらく、その売り場の人と仲良くなってある日、その人のライヴを見に行くことになった。
その日、一緒にするバンドのドラマーが彼の先生だった。当時の僕にとっては「師匠」の「師匠」に当たるわけだ。
「ラグ」という京都の小さなライヴハウスでほとんど生音だが、何故か気にならない不思議な所。
「師匠」はもちろん手数が多くてすごかったが、「師匠」の「師匠」がシンプルながらも絶対的な「自信」と「余裕」を音に感じられて
かなりショックを受けた。説得力のある演奏というか。だって1m先にお客さんがいるんだよ。普通は怖いって。
PAで作る音に慣れきってしまった今の僕にとって生音で勝負なんてまるで話にならぬ。
まさしくRPGゲームの中に出てくる主人公が「こん棒でラスボスに立ち向かう」状況みたいなものだ。
素の自分に絶対的な自信(過信や虚栄ではない確実な何かがある)を持つ人はどんな状況でも強い。
そして格好をつける必要がない。その時点で既に格好いいんだから。
僕もそういう人間になりたいので、何とかない知恵を振り絞り努力を続けているつもりだ。でもゴールはまだ見えもしてない。
2001年3月23日(金)
そんなこんなで色々な人とスタジオに入ってライヴをしたりして、進学校のくせに全然勉強もしなかったんだけど、
そんななかで衝撃を受けてしまったのは高校三年ぐらいだったかなぁ、
その頃よく京都の河原町三条にある楽器店に行ってたんだけど
そこのドラム売り場にいたニイさんが、パタパタ練習台を叩いていて、それが今まで見たこのないスピードで動いていた。
連れと2人で通りがかったのだけどまさしく「目が点」になった。次にもう「すごいっす〜」等と口を開いていた。
実際ルーディメンツなどを知らなかったのだから例えて言うなら
「一生懸命火打ち石で火を着けようと頑張ってる横で、さりげなくライターで火を着けられたような感覚」か。いや、違うな。
「迷路であれやこれやと悩んでいるときに、「簡単じゃん」とヒョイと壁を飛び越えて進まれたような感じ」か。
うん、僕とその人では2次元と3次元の開きぐらいはあった。結構いい人で、僕のような偏屈高校生にも「簡単な手順」を教えてくれた。
そこでは恥ずかしかったので、できなかった。家に帰って「簡単な手順」を試してみた。全く出来なかった。
その夜、僕は「自信」と「自惚れ(うぬぼれ)」を勘違いしている自分に気がついた。今までの言動が本当に恥ずかしかった。
もっとしっかり練習しないといけない。もっとしっかり叩けないといけない。もっとカッコつけずに自然体でないといけない。
あの出来事は絶対忘れることはできない。なぜなら自分の第2のスタート地点だからだ。
(注 エラそうに書いてるなぁ(笑)。)
2001年3月22日(木)
横道にそれたついでに。
あの頃は今考えると、完全実力至上主義っつーか「速く演奏できるるからうまい」とか
「細かいことができるからうまい」という風潮が僕の周りに多かった。
実際、高校でやってたバンドの連中は「うまいな」とよく思っていた。
今はどうしてるんだろう。それで、今も「うまい」のかな。
ナーちゃん、いわじゅん、家口ちゃん、やっさん、みやん、やさ、元気?
ちなみに今の僕の「うまいひと」という定義は「心を込めて演奏できる人」あるいは「感情が音に出る人」と同義であります。
.............精進しないと.....
P.S. 家口直哉さん(ベース)はちなみに関西方面のジャズ系で頑張ってるようです。なかなか日がなくて見に行けないのが残念。
(注 この年の暮れに会いました(笑)。)
2001年3月21日(水)
その上級生とのバンドは、メンバーを色々変えて学園祭やライヴハウスで何回か出演していた。
並行して同級生ともバンドを作ったり、他の学校の人から「○○君の紹介で電話したんだけど〜」という見ず知らずの人に言われて
バスに乗ってスタジオに行ったりと「俺ってセッションドラマー?」等と勘違いしかねない勢いでした。
「公民館でライヴするから!」って電話がかかってきたので当日行ってみると、
団地の中の小さい会議所みたいな所で、試しにドラムを1発「ポン」って叩くと「やめてください!」と町内会の人に言われた。
仕方ないので周りの五歳くらいの子供20人くらいを相手にBOφWYの「オンリーユー」を、
5回連続やって聞こえるか聞こえないかという感じで叩いて終わったりとか(無茶苦茶やな)、
これは大学のときやけど、「幼稚園児のピアノ演奏にドラムで伴奏をしてくれ」と頼まれて行ったはいいが、
案の定、普通に叩くと全くピアノが聞こえないので、結局はドラムの椅子に座って20人くらい連続で手拍子を叩いて、
「大変ですね」と保母さんに同情され、「手が少し痛くなってきました」と僕も正直に答えたりという事もありました。
おっと横道にそれた。
2001年3月20日(火)
さて、話を元に戻しましょうか。
生まれて初めてスタジオに入ってドラムを叩いた時のことは、今でも鮮明に覚えてます。
第一印象は「死ぬほどドラムの音がデカイ!」その次「ギターもベースも楽器全部うるさい!」っていうか「全部うるさい!」だった。
でも興奮したなぁ。今でもスタジオに入ると勿論テンション上がるけど明らかに昔とは違う感じだ。
そのバンドは8月にライヴが京都会館の別館であって
(無論僕にとっては生まれて初めてのライヴ。にしては結構大きい所だった)
もちろん出番前には緊張して足が震えて階段から落ちそうになったし、意味もわからず「ユンケル」等も飲んだ。
セッティングの変えかたをよく知らなかったので(今考えるとこれもすごい話やな)そのまま前の人の使った状態で叩いた。
しかしお尻がデカイせいか(ほっといてくれ)、椅子がどんどん下がって最後は自分の胸当たりにスネアが来るという、
まさしく「赤ん坊がテーブルで離乳食を食べてる」ような状況に追い込まれたりもしたが無事終了した。
僕らの前に出たバンドの人が、そのドラムセットの持ち主だったので、椅子を壊したことで僕は申し訳なく「すんません」と一応謝った。
(注 この種類の椅子は留め具が緩みやすく、すぐ外れることが多かった。だから壊したわけではないのだ。)
向こうにしたら意味不明やろな。でもすごくいい人で家に呼んでくれたりもした。すごくテクニックのある人だったので、
今思うと、かなり精神的な影響を受けた。だってそれから本当に何年間かは「技術こそ全て」という人間だったから。
....環境って大きいな。とにかく周りが「技術一辺倒」だったもんな。でもその割にはルーディメンツ等は知らなかったので
「ロール」はとにかく両手を無茶苦茶速く動かしてるのだろう、とかって思ってました。でも今の100倍は練習してたな。自慢にならんな。
む〜っ。また明日。
2001年3月19日(月)
え〜と、もう少し違う話題などをしよう。ドラマーならではの話ってやつで。
他の楽器を担当されている方同士と、ドラマー同士って何が違うかというと、初対面の人でも話がよく合うことです。
もちろん、他の楽器をされてる方でも「そんなことねーぞ」って人もいるでしょうが、ドラマー同士って基本的に合います。
まぁ、若干の意見の食い違いはあるにせよ、だいたいお酒の席などでは何故か僕の隣はドラマーっていうのが多いです。
別に意識してる訳じゃないんですが不思議ですよね。話の内容は「どんなドラマーが好きか」とか
「ライヴや練習中のトラブルの話」「機材の話」など。...あぁ、なんてマニアックなんだ!と思う人もいるでしょうが、
普段ドラムを叩いてて、誰にもわかってもらえない話を聞いてもらえる或いは聞くというのは僕にとっては貧乏くさいが幸せな一瞬なのだ。
うむ、例えるなら人外魔境に迷い込んで往生してるとき、ふと横を見ると近所のタバコ屋の親父も同じように迷っていたって感じか。
.....ちょっと違うな....まぁええか。とにかく親近感があるって事で。
あと、自分で言うのもあれだが、私が思うドラマーの性格を。
1.神経質なのだが大雑把でもある。
2.世話好きである。(「もぅ!しゃぁないなぁ!」が口癖)
3.盛り上がってる時に前にしゃしゃり出ることは本当は好まない。でも気がつくと「イエーイ」と叫んで前に出ているときがある。
4.お酒を飲んで盛り上がっても帰るときなどは何故か1人でトボトボ歩いている時が多い。
5.仲間でどこかに移動するときは何故か運転手になっている。そういう時に後ろの席が盛り上がる。
うらやましくなって交代してもらった時には後の祭りでみんな寝ている場合が多い。
もし、こんな性格の人が周りにいたり、貴方がこんな性格なら「ドラマー」としての資質は十分あるでしょうね。
2001年3月18日(日)
全く終わりそうにないのでとりあえずこのあたりで1度話題を変えましょう。気が向けば、また続きを書きたいと思います。
今日はスネアの話でも。
今使ってるスネアはラディックの402とカノウプスの「THE MAPLE」13×6.5、そしてヤマハのデイヴ・ウェックルモデル(メイプル)。
一番最初に買ったのはパールのZで今も兵庫県姫路のとあるスタジオに常備されています。
当時スタジオを作るにあたって担当の人に「スネア譲ってくれないかな〜」と聞かれたんで
僕も丁度新しいものを、と考えていたので即答で「いいっすよ」と答え、単板メイプルのフリーフローテンイグのピッコロを手に入れた。
......パールの人には申し訳ないが、ほんとに鳴らないスネアでした。
チューニングが下手なせいもあって当時のメンバーにも酷評で
結局去年スパイスマンのファンの子にあげました。使ってくれてるのかな。ちゃぶ台になっているかもしれないなぁ....
今はカノウプスがメインですが、402と比べると音云々というよりダイキャストフープのせいか、或いは自分の力量不足かはわからんが
とにかくスティックがよく折れる。最近は特にひどかった。そのかわり、と言ってはなんだがチューニングのテンションは
どんなに激しく叩いても一切緩まない。402の時のように1曲ごとにせっせとキーを回す必要はなくなった。
その代わり402は「当たり」がすごく柔らかいので食い込む感じがいなたくて最高でもある。
要するに僕は単純で気持ち良ければ何でもいいのだ。
ヤマハのデイヴモデルは今は2軍。ちょっと今はお休み中っていうか借り物なんでキレイにして飾ってます。
なかなか毎日ドラムを触れる環境にいなくてお金もないのが辛い点だけれど、色々な太鼓をもっと叩いてみたい。
(注 現在、手元に残しているのは402のみです。)
2001年3月17日(土)
簡単なプロフィールのはずがどうも「半生を語る」勢いになってしまった。もうしばらく、おつきあいください。
中学3年になってバンドを組んだ。謝恩会で俺らもライヴをしよう!という名目で。担当はドラム。
曲はヨーロッパの「ファイナルカウントダウン」(な、懐かしい〜)とか
VOWWOWの「ナイトレス・シティ」等(これは今でもたまに聞くけど)。
みんな無け無しのお金を集めて楽譜を買い、楽器を買った。
ちなみに僕はスティックだけ買った。単純に何を買えばいいのかわからなかったのだ。
メンバーの家でみんなで集まって練習した。ギターベースも同じアンプに突っ込んでこれまたヘボイ音。
キーボードはかなりいい音。唄は地声。僕はもちろん電話帳を叩いた。帰り際にはボロボロになった電話帳。一応謝った。
こんなヘボイ練習だったけれど、間違いなく今まで生きてきた中で、到底味わうことのなかった何かがそこにはあった。
結局ライヴは出来なくて残念だったけれど、あのバンドがなかったら僕は今こうして音楽をやってはいなかった。本当にそう思う。
高校の入学式の前に、すでに高校でバンドを組んでいる上級生に「音楽室に来い」と呼び出された。去年ライヴをしたあの2人からだった。
「おまえ、ドラムやってるんやろ?」「はい」「これ、演奏できるようにしとけや」といってBOφWYの音源と楽譜をいきなり渡された。
「えっ?でもそこにいるドラムの人は?」「クビや」「......」心底恐ろしいと思った。とんでもないところに来たと思った。
「4月2日にスタジオ入るからさ!やっとけよ!」と爽やかな笑顔で言われた僕は「スタジオってドラムあるんですか?」という
相変わらず無知な質問をして2人を困惑させるぐらいしか返す言葉がなかった。当時までスタジオの存在など知らなかったのだ。
む〜かなり長そうな話になってきたぞ。また明日。
2001年3月16日(金)
全くドラムの話ができない。もうしばらくの辛抱です。
今でもよく憶えていることがある。
兄と部屋にいてジミヘンの「LIVE IN THE WEST」(だったと思う)を聞いていて、何故かドラムの話になった。
「おまえこんなに手が速くは動かんやろ」といって「ジョニーBグッド」を聞き始めました。
それまでドラムは他の楽器に比べてあまり興味がなかったのですが、
ミッチ・ミッチェル(もしかしてバディ・マイルスか?)の叩く8ビートが
当時小学生の僕にとっては強烈に真似の出来ないスピードでした。
「こんなに右手が速く動くわけないよ」「そうか?」といって兄は正座して
スラッと自分の太ももを曲に合わせて叩き始めました。「は、速い...」「どや、おまえ出来るか?」
負けず嫌いの僕は挑戦。しかしAメロに入る前で挫折。そして「遅い!」といって、いきなり足を掴まれサソリ固めを掛けられる日々だった。
でも一ヶ月ほど「苔の一念」ってやつで出来るようになった。でもそのときになってもまだドラムは両手で演奏するものだと思っていた。
初めてドラムに足が必要なのだとわかった時は、中学生になってからでした。LAメタルがちょうど人気の出かかった時代。
でも僕は兄の影響で聞いていた音楽はZEP、ピンクフロイド、ジミヘン、ビートルズだった。何せ初めてレンタルレコード屋(懐かしい〜)
に行って借りたカセットテープ(!)がELPだった事を考えると、かなり変人だったのかもしれない。いやな子供だ。
でも学校では掃除の時間や自由時間にLAメタルがガンガン鳴る、割と自由な学校だったので自然とバンドをする話は起こった。
そんな中、一級上の人が卒業前の謝恩会でライヴをした。音楽はよく聴いてたけど実際知ってる人がするライヴを見るのは
生まれて初めてだった。とにかくギターとヴォーカルの2人が当時死ぬほどカッコよく見えた。
「僕もバンドやろう」って思った。
でも、そのときはまさかその2人と後にバンドをすることになるとは夢にも思わなかった。
2001年3月15日(木)
今までほとんどドラムの話をせずに来てしまった。
ドラマー諸氏の皆さんには大変申し訳なく思っておりますので(読んでる人おるんかいな)
ドラムマガジン風に(いわゆるマニアックに)私のプロフィールなどを。
僕自身記憶にないのですが4歳くらいにオルガン教室に通い始めたようです。
当時、両親が「子供のときの3〜4歳位に、絶対音感をつけておくと非常によろしい」と何かの媒体で情報を得たらしい。
でも教室に女の子しかいなかったので僕にとっては「はぁ、早く帰って公園に遊びに行きたいなぁ」ぐらいにしか思わなかったけど。
(んで、実際は絶対音感がついてないようだ。でも幸か不幸か音楽はやってる。親にとっては喜ぶべきか悲しむべきか。)
公園で遊んで帰ると家では常にロックがかかってました。家にはZEPフリークの兄がいました。
当時大阪まで日本に五枚しかないと言われたポスターを買ってきて家に置いていると
僕がロバートプラントやジミーペイジの顔に思いっきり髭を書いたりして、思いっきりシバかれたくらいのフリーク度でした。
10歳離れた兄は当時からバンドを組んでいて当時小学生だった僕は、兄のバンドが演奏したテープなどをよく聞かされました。
「これがクリームの「ホワイトルーム」って曲や。俺らが演奏してるんや。どや?かっこええやろ」
「うん、本物みたいやなぁ」等と、今から考えると超適当な返答を繰り返して全く赤面ものです。
っていうかオルガン教室に通ってるだけの泥んこ小学生が、クラプトン聞いてもわからんって。
ん〜、話が前に進まない。まぁ小学生の高学年にもなってくると(オルガン教室は検定9級をとってやめた)
ロックな感じがカッコよくなり、家にあった楽器のカタログを見ながら兄に「どっちがベース?えっ?ギターとベースの違いって何?」
と好奇心旺盛になり、ますます兄を困らせる結果となった。
ちなみに当時僕はドラムは両手しか使わないものだと思っていた。無知とは恐ろしいものだ。
今日はこの辺で。
2001年3月14日(水)
昔から友人達には「夢があっていいよな。俺なんか云々〜」というのを耳にする。
その時は「まぁね〜」というだけに留まって、さっさと違う話題をしたりするけれども、別に夢なんて何でもええのにな、と思う。
例えば自分の夢を言うとする。他人が聞いて「それからどうすんの?」と聞く。答えが出ない、みんなきっとそれがイヤなのかなぁ。
あるいは現実はもっと厳しいのだよ、とハタから見たらチャランポランに生きてるような僕に、
優しく忠告してくれているのかもしれない。あるいはもしかして自分が何をしたいのかがわからないからか。
でも現実に家のローンが残っていたり、生まれながらにして社会的環境に恵まれなかった人も含めて、夢は誰でも見れると思います。
でも空想では飯は食えない。夢を掴む手段がわからない。そこで大勢の人はあきらめてしまってるような気がします。
でも、そんな事言ったら僕も友人達と同じです。
ちなみに僕の夢は2個あります。
「世界中の人の心を潤す音楽家、ドラマーになること」ですもん。どだい、そんなもん無理だって。現実に飯も食えてないし。
もう1つの夢は「周りの人を潤す人間でありたいということ」です。この夢はとりあえず今の所ギリギリ叶っているような気がするがダメかな。
なんてったって名前が「潤也」なので。
まぁ全然つまらん話なんでとっとと終わりますが、とりあえず僕はデカイ夢とメチャメチャ小さい夢両方を持ってるほうがいいと思います。
ちなみに貴方の夢は何ですか?
2001年3月13日(火)
先週の週末は沢山遊んだ。数少ない友人と飯を食ったり、バンドの連中とゲーセンに行ったり。
たまにはいいもんだ。最近ずっといろんな意味で遊んでなかったから。
遊んでいて思ったことなどを書いてみよう。
どんな事にも言えると思うけど、絶対「遊び」の部分が必要だと思う。いい意味で「いい加減」って言えばいいのかな。
アントニオ猪木さんがインタビューでこんなこと言ってました(すんません、プロレスとか格闘技が好きなんで)。
「一所懸命なのはいいことだけど他が見えなくなっちゃうし。だけど、こだわるなといえばその「こだわるな」にこだわってるよね。
だから「いい加減」っていうのかな?そういうのが必要なんじゃないかな、自分を狭いところに持っていかないっていう。」
深いよ。人生経験から考えたら俺など遠く足元に及ばないような人のいう台詞は。
で、僕も何か出来ることで、と試してみた。どうするのか。「曲を一回で作ってしまわない」「ドラムを楽しく叩く」ということだった。
今までは割とスピード重視でガッと集中して短時間作ってたり、太鼓を難しく考えたりしてたけどキッパリやめてみました。
うん、私のような凡人にもわかりましたよ。魂を昇華しながらも杓子定規にならずすごく軽やかに動けるような感じが。
もちろん作曲家、ドラマーとしてもまだまだ修行が足らないんで、おまえが言うなって感じですけどね。フンだ。
とりあえず僕は音楽を思いっきり楽しんで終生、大衆に尽くしていきたい。
2001年3月12日(月)
無事1週間が過ぎた。まだネタには困っていない。よし、続けられるまで続けてみよう。
最後のライヴが終わってから今日で4曲書いた。トータル製作時間は30時間くらいか。
これが長いととるか短いととるか。わからん。
まぁ自分で言うのもなんだが最近作った中では傑作達だ。
私のようなヘボ作曲家を含めて作品を創作される人にとって、作品は実に自分子供のような気分だと思う。
実際は僕に子供はいないけど、そんな気にさせられている。実際どれもかわいいから。
だからバンドの連中に聞かせるときは、
もはや授業参観の気分で「ちゃんと手をしっかり挙げろよ!」というのに似た、意味不明なエールを送る気持ちだ。
自分で作って演奏した曲なのにね。
でも言いかえるとバンドで新曲を皆さんに聞いてもらう時も、同じ気分だったりする。
バンドで最終的に創った曲というのは、得てして製作者の意図を乗り越えて独自の道を歩んでいる場合が多い。
所謂バンドという世間の荒波に揉まれて、自分の子供が大人になったような感じなのだろう。
バンドで演奏して、自分のイメージ通りの曲には仕上がらず、変わった形で出た時、ふと考える。
「これって、親が決めた人生を子供が反抗して、違う道を歩む時に思う感情に似ているかもしれない」と。
そんなことを考えてると朝になった。
2001年3月11日(日)
大きく話が逸れてしまっている。軌道修正しなくては。
先日、「感じのつかみにくい」と言ってた曲が、完成の域に達した。(もちろんギターの弦も張り替えた。)
ここでいう「完成」っつーのは、「メンバーに聞いてもらって笑ってもらえる」もしくは「泣いてもらえる」レベルであり、
実際に他人の耳に触れることはない。バンドなんだからバンドの「血」が入らないと意味ないですもん。
しかし、未だに苦手なものがある。作詞だ。これだけは避けて通れないものの、全く書けない。
書くのは書くがタイトルが「飛んでけモグラ君」や「仏滅の日」あるいは「恋のララバイ」といった、
もはや小学生が好きな女の子(ここでいうカッコイイ歌詞)に照れてしまって
逆にいじめている(ここでいうギャグで誤魔化す)ような構図になってしまっている。厳しい。
先日も「ぐうたら人間学」を読み、これが「海と毒薬」を書いた人なのか?と思わせる遠藤周作さんという作家の振り幅に、
小説のことなどまるでわからないながらも驚嘆し「私もこういう音楽家でないと。」と決意を新たにしたつもりであったが...
....現実は厳しい。
ビートたけしさんも言ってますよね、「思いっきり泣かせる事が出来る人が思いっきり笑わせることができる」と。
う〜む、つまりここで書いている駄文も、そういう意味では全く面白くはないのだろうな。
真剣に歌詞に取り組む必要を感じつつまた明日。
(注 今も苦手である。取り組む必要は今も感じているのだが(笑)。)
2001年3月10日(土)
フライングしてます。まだこの文を書いているのは木曜日です。
くだらない話が続いたので主題と大きく外れてしまった。仕方あるまい。
「音楽とは人生なのだ」と誰かが既に言っているかもしれないけど、そう思いますよ。
私のような実に多弁な、男のオバハンみたいな人間ですらそう感じているのですから、実際そうなのでしょう。
人生というよりはその生き様?...魂の部分が出るのでしょうねぇ。あ、見た目の「熱い」「熱くない」は関係なしでね。
ラウド系だから魂入ってるとかラテン系だからとか、このコンテンツでは実にくだらんジャンル分けは排除してますので。
(注 エラそうなこと書いてるなぁ(笑)。)
...と威勢良く張り切って書いたものの、鬱陶しい話になりそうなのでまた別の機会に。
暇なのでバンドで出している、ダイレクトメールで2年ほど前に書いた文を読み返してみよう。成長の跡がうかがえるかな。
時は2198年、地球は宇宙銀河軍の攻撃により壊滅的な状況に追い込まれていた。
地球連合軍の最後にして最強の戦闘機、その名も「イガーン3」に乗り込む連合軍最年少の天才パイロット井垣潤也18才。
顔に少し幼さを残しつつ、その使命感に燃える瞳はベテランパイロットさえもたじろいでしまう。
「僕がやりましょう。」井垣はそっとつぶやく。「やってくれるか?奴等を倒せるのは君しかいない。頼む、地球の名誉の為に」
「いいえ、艦長。僕はイガーン3と旅をしたいんですよ遠いところへね。」微笑む井垣。
発着場にて女が一人立っている。天才美女ジェーン。
「行ってしまうのね。潤也」涙を浮かべている。
「ああ」点検を続ける井垣。
「君は、自分の任務がある。任務を遂行することが大事なんだ。」「ああ、潤也」そして抱擁。
ここで目が覚めた。昼の2時だった。
よだれを垂らしていた。寝違えたようで首が痛い。たばこを吸う。チキンラーメンを2個食べる。
ゼルダの伝説の攻略本を買ったので(この年で買うなっての)やり残した所をする。
夢との距離は全く縮まりそうもない。おわり
.....だめだ。何一つ変わっていない。
2001年3月9日(金)
2連休ほどするので先に書いておこう(この時点で日記じゃないよな)。
今日はおそらく外出すると思います。
最近、湿気の全くない雑巾を絞っているような感覚で創作していたせいか、頭がカスカスの状態です。
外出....いい響きだ。でも行く場所は決まっている。ホームセンターか近所のスーパー、本屋、CD屋ぐらい。
楽器屋は急ぎの用でない限り行かない。普通のお店.....はっきり言って高いよ。まぁいいか。行かなければいいんだ。
こうやって考えると、ライヴとたまに行く旅行のせいで、普段私はすっかり出不精になってしまった。
たまには街を歩かないと。でも、人混みが嫌いなんだよなぁ、人に酔ってしまうのよ。
京都の人はわかるかも知れないけど、あの新京極を四条通りから歩いて行くと、三条の手前がちょっと登り坂になってるでしょ。
あそこで人がウジャウジャいるのが見えて、吐きそうになった経験もあるぞ。決して自慢ではない。
東京に住むなら浅草がいい。全然とりとめのない話でした。
と書いてたら昔のバンド仲間からの電話。本日は遊びに行って、飯食ってきます。
2001年3月8日(木)
割と堅苦しい話ばかり続いたのでここらで違う話でも。
ライヴを初めて観た人などには「スパイスマンってどうやって皆さん知りあったんですか?」とよく聞かれる。
時と場合で「いや〜食べ放題の店でたまたま知り合ってさぁ〜」とか「もともと旅行サークルだったんですよ〜」等と
大ボラをふいて茶化しているものの、何故みんなそう思うのだろう。どのバンドさんでもそうなのかな。
きっかけなんて実際書いてみると、あまりにもつまらないので書かないけれど、そこらは皆さんのご想像にお任せします。
(注 もともとは、とあるライヴハウスの方の紹介で知り合ったってのが本当の話なんですが、ね・・(笑)。)
もし他のバンドさんと区別するなら、すごい「食べる」バンドだと思います。音楽性も雑食だし...う、うまくまとまったぞ。
っていうかもっと音楽的に区別しろっつーの。無理だけど。
2001年3月7日(水)
今日、ギターを弾いてるとバチーンと4弦が切れてしまった。ギターリストではないのでスペアの弦等あるはずもなく、
もう1本のギターも6弦が切れているので(なんか貧乏くさいな)シーケンサーとベースで創作を再開。
キーボードは物心つかぬ幼少の頃、4年間ほどヤマハ音楽教室でみっちり教え込まれた....筈であったが
今は全くと言っていいくらい.....弾けない。
両手でかろうじて「チューリップ」が弾ける程度なのだ。うむ、やはり「継続は力なり」か。
うまくならないもう一つの理由は、シーケンサーにもある。他の人もそうだと思うが、昔はカセットMTRに録音する場合、
基本的に「練習して一発録音」が前提にあったと思う。だから練習した。
でも今の時代、シーケンサーで1小節分の入力など訳なくできるし、
デジタルMTRで行うパンチイン等は、素人(私)が聞いても全く判別できないほど高性能になった。
これを功罪といわずにはいられない。目の前に楽な方法があればすぐ飛びついてしまうグータラな私は、キーボードの練習をしない。
ただし、時間はかかる。普通に練習したほうが多分早く完成するだろうな。今日もわずか70小節作るのに3時間かかった。
しかも、ギターがないのでなお更感じがつかみにくく、変な感じの曲になりそうだ。
....でもそう考えるとアコースティックドラムって不思議ですよね。パンチイン等できないし、よくよく考えるとただのノイズですよ。
実際叩いたことのある人ならわかるかもしれませんが無茶苦茶うるさいし(俺が下手なだけか...)。
まぁとにかく皆さんが普段聞いて認識されている「ドラム」という音はかなりデフォルメされてますよ、ということで。
でも、デフォルメされればされるほど、「汚い音の生のドラム」が気持ちよくなっていくんですよ、これが。
僕はその部分で「ドラム」がすごい「おもしろいな」と思うし、今もなんだかんだ言って叩いてる理由なのかもしれません。
なんといっても僕の感情が一番入る瞬間って、下手ながらも太鼓を叩いている時だけですもん。これは断言できます。
もし、人より速く演奏できたり難しいフレーズができたとしても、感情が入ってない人は僕にとってダメドラマーですよ。
もちろんそんな感情のない人なんて、世界中捜してもいないと思うけど。だってそんな人は楽器で表現する必要がないでしょ。
だから僕の目標は「私、音楽の事やドラムの事もさっぱりわからんけど、ライヴであの人を見たらすごいエネルギーをもらえるねん」
と言わせることです。どぅ?なかなか大それた目標でしょ。....う〜ん.....やっぱ練習しよ.....
2001年3月6日(火)
今日は使用機材についての説明を。
普段の生活は自慢ではございませんが、ドラムの練習なんてやってません(やれって)。家ではもっぱら宅録派です。
でも、叩いてないから気付く事って結構あります。
打ち込みには現在ローランドのMV-30という8トラックシーケンサーを使ってますが、
さすがにドラムの打ち込みは本当に「ツマラン」と思います。だって叩いたほうが絶対早いもん。
でもそれを乗り越えちゃうと楽しくなってきます。多分自分がドラマーなのを忘れてしまうのでしょうねぇ。
普段、絶対叩かないフレーズとか打ち込んでしまって、自分で「へぇ〜」と驚くこともあったりする。
でも音に関してはかなり納得できないようになってきました。そろそろ新しい音源内臓シーケンサーが欲しくなってきた。ヤバイ。
録音に関しては普段はローランドのSP-808を使用しています。この機械、今まで使ってきたMTRの中でも私にとっては
「最も使いやすい」MTRとなります。4トラックしかないんだけど、十分すぎます。とにかくアイデアを形にするというスピードはダントツ。
今現在はマツカナ(KEY)に貸しているのでAW4416がメインになってますが、個人使用で考えればAWよりもSP-808だと思う。
もちろんバンドで、となればAWに軍配があがるけれど。というかまだ実際AWは使いこなせてないのだ。
閑話休題。ベースとギターは自分で弾く。自慢じゃないが太鼓歴よりベース歴のほうが実は長いのだ。
しかし、あれだな、楽器の上達というのに関しては(何事もそうだろうけど)時間の長さではなく密度なんだろうねぇとつくづく実感。
何故かというとちっとも巧く弾けないもん。ギターも然り。
なんか寂しくなってきたのでこの辺で。
2001年3月5日(月)
今日は記念すべき第一回!ということでこのコンテンツで何について書くかを発表したいと思います。
「音楽好きの凡人(私)が己の才能をどこまで高めることができるか?」であります。
大それたネーミングで早くも緊張しておりますが、「何も更新しないよりははるかによい」をモットーに
適当且つストイックに頑張ってみます。
ストイックな点
1.文字の色を変えたりサイズを大きくしない。
2.(笑)や顔文字といった姑息な手段は使わない。
3.画像も使用しない。
(注 実は進むに連れて写真がワンサカ出てくるようになったが、サイズの変更は一切行っていない。)
適当な点
1.毎日は無理があるかもしれないがなるべくやってみる。
2.特別何もなかった日は無理してネタをつくらない。
しばらく、よろしくお願いします。
尚、機材などの説明は一切省略します。興味があるけどわからない方はご自分で調べてみてください。